今にも消えそうな小さな命を目の前にした時、多くの心優しい皆さまは迷わずに手を差し伸べてしまうでしょう。
その行動を考えなしだと責める人もまた小さな命を心配するひとたちです。
その優しい人たちの間で諍いがあるのを何度も見て来ました。
その度に心が痛くなります。
愛情が諍いを生むのは本当に心が痛いです。
私は、もしかして消えるかもしれない目の前の小さな命の灯を放っておく事ができません。
その行動が正しかったのかどうかは、時間が経過してみないとわかりません。
こと、言葉の通じないモノ相手ですと最後まで正しかったかどうかの判断はつかない場合が多くあります。
相手にそれを確認する術がとても少ないからです。
それでもあの茹だるような暑い日に、私の掌の中にぽとりと落ちて来た小さな命を、かつて大切な相棒の犬と暮らしたその家に連れ帰ったことを、私は半年経った今、全く後悔していないのです。
そしておそらくこれからも。
出会いはいつも突然
私に老犬介護を全うさせてくれた相棒、まぐろさんとの出会いも突然でした。
出会いはいつも唐突にやってきて私に走りながら決断する事を余儀なくさせます。
どの出会いも立ち止まる隙を与えてはくれないのです。
走りながら軌道修正していくので、私には自然と知識がついていきます。
それが「命」との付き合いであり、毎日お互いに成長していくものだという事をいつも認識させてくれます。
今回の出会いも突然でした。
犬母ちゃん、仔猫を探す
鳴き声はもっと前からしていたのかもしれません。
近所には、そんなに多くはありませんが野良猫がうろついています。
うちの近所は古い商店の多い住宅街で、地域猫も割と受け入れられているほうだと思います。
ですから猫の鳴き声なんてものは割と日常的に聞くもので、街の風景にいわば溶け込んでいるようなものです。
それでも、その鳴き声がとても気になったのは、そこから運命の出会いがはじまっていたからかもしれません。
とにかく、私は、はたとその鳴き声に気づいてしまい、そしてとても気になってしまったのでした。
猫の事にはそれほど明るくない私でも、それが年端もいかぬ『仔猫』のものだと言うことがわかるような鳴き声でした。
最初は、それほど切羽詰まった風もなく、私自身も、『猫が鳴いてるなあ』程度の気になり方でした。
とても近くで。
気になりはじめるとどうにもたまりません。
出勤のために家を出るのを少し早めて、私は、鳴き声の元を探しました。
その時の鳴き声は、何時間かおきに聴こえて、しばらくすると止むといった具合でしたので、私は、親猫が戻って来ているのかもしれないと思いました。
親猫が餌をもらうために遠出をするということは犬母ちゃんもそれなりに聞き及んでいた事です。
ですから、探したのも、姿が見えれば様子を伺う事もできるしという程度のものでした。
しかし、思ったよりも見つかりません。
今考えれば、もっともな話です。
簡単に見つかるような場所に、年端もいかぬ仔猫を隠すほど、野良の母猫は呑気ではありません。
私は諦めて仕事に向かいました。
しかし、仕事から帰って来て夕飯の支度をはじめても、まだ時折、仔猫の声が聞こえます。
この頃になると私もとても気になりはじめました。
夜に何度か家を出て周囲を探してみますが、だいたいの予想はつくものの、どうもその居場所は判然と致しません。
その間に、鳴き声もだんだんと切羽詰まったものに変わって来て、私はだんだんと不安になりました。
おりしも外は酷い猛暑です。
母猫が帰ってきている保証もありません。
このまま放っておいて大丈夫だろうか?
次の日も、私は声の主を探し、ついに3日目の仕事帰りの夕方、知人を呼んで本格的に捜索をする決意をしました。
犬母ちゃんの手に落ちて来た仔猫
彼女はまるで私の心がきちんと決まるのを待っていたかのように、私の手の中に落ちてきました。
あの感覚を、私は一生忘れる事はないでしょう。
20年近く経った今でも、亡き愛犬をはじめて膝の上に乗せて車で帰路についたあの日の感覚を鮮明に覚えているように。
彼女が私の手に触れた瞬間の感覚は、それにとても似ていました。
最初に仔猫の姿を発見したのは、いっしょに捜索してくれた知人でした。
この知人は、亡き愛犬との出会いも作ってくれた人です。
うちのお隣は植物に囲まれた緑豊かな一軒家で、家自体が植物でできているのかと錯覚するくらい鬱蒼とした花壇に囲まれた家です。
知人はその花壇の一角を指差し、「居た!ここだ!」と叫んだのです。
しばらく知人の指の先を必死に見てみますが、私には姿を捉えることがなかなかできませんでした。
知人がなんとか仔猫を誘い出そうとしてくれるのですが、なかなか出て来てくれません。
しかし、その間も絶え間なく鳴いています。
悪戦苦闘する私たちに気づいて、お隣さんが家から出てきました。
仔猫を探す私の代わりに、知人がお隣さんに事情を説明して状況を尋ねてくれました。
花壇の中で野良猫が4匹の仔猫を産み、3日前くらいに3匹連れて引っ越したのだけど、この子だけ取り残され、母猫が3日ほど帰ってきていないという事がわかりました。
仔猫を探しながら、知人とお隣さんとの会話を聞き、私は「これはなんとしてでも連れ帰って命を繋がなければ」と決意しました。
その瞬間です。
唐突に。
本当に唐突に、ぽとりと掌に彼女が落ちて来たのです。
まるで、「それを待ってました!」とばかりに。
かくして、3日の間私の耳に届いていた鳴き声は、私の掌の中におさまり、我が家に連れ帰る事に成功したのでした。
当時の犬母ちゃんの持てる仔猫知識
さて、仔猫を連れ帰ったのは良いものの、私が猫を飼っていたのは30年近くも前の話。
犬を飼う事の常識も、ここ数年でずいぶんと更新されているのですから、当然、猫と暮らす常識もずいぶんと更新されているだろうという事はとても容易に想像できます。
しかし、この瞬間に持てる知識は全て総動員しなければ、今、掌の中で鳴いているこの子の命を救う事などできません。
私は、必死で頭にある今必要な情報をかき集めました。
仔犬や仔猫に牛乳を与えないほうが良い
とりあえずのところ、目立った外傷も全く見られず、猫風邪による目ヤニもそこまで酷いものでは無さそうです。
猛暑であったため、逆に体温の低下も無さそうです。
幸いぐったりという風もなく、仔猫は動いてくれていました。
しかし、彼女は、隣人の言葉によると三日三晩飲まず食わずであった可能性がとても高い。
何はなくとも水分補給と食事です。
人間用の牛乳でもという知人を制し、私は近所のスーパーに売っている猫用のミルクを買ってくるように頼みました。
私は、仔猫や仔犬には牛乳を与えないほうが良いということを知っていたからです。
猫も犬も、牛乳に含まれる乳糖という成分を分解するための酵素であるラクターゼをあまり持っていないのです。
ですから猫や犬は、牛乳を飲むと下痢をしやすい。
人間でも乳糖不耐性といって、お腹の中にラクターゼを持つ量が少ない人が居て、そういう人が、牛乳を飲んでお腹を壊しやすいそうです。
相手は三日三晩飲まず食わずの弱った仔猫です。
こんな状況で、もしも下痢などしようものなら命に関わります。
幸い私は、老犬介護をしていたので、近所のスーパーのペットコーナーの在庫事情には割と明るかった。
そこに猫用に調整された牛乳があることを知っていました。
ありがとう、近所のスーパー。
かくして私は駆り出された知人にお使いを頼み、駆り出された知人は、仔猫捜索から、私の勢いと熱意に押されて、仔猫の命を救うためのミッションに、任務延長確定したのでした。
仔猫の月齢にあたりをつける
さて、買い出しに出た知人を待ちながら、私は、仔猫の月齢のあたりをつけることにしました。
犬もそうですが、仔猫の口は生まれてからしばらくは、いわゆる一般的に想像するペロペロと舌で掬って飲むという事にはとても不向きで、乳首を吸ってミルクを飲むという事しかできません。
さらに生まれたばかりの仔犬や仔猫は排泄も自力でする事ができないのです。
これは産床を清潔に保つためとも言われていて、お母さんから与えられる刺激が仔猫の全ての活動の規範です。
ですから生まれてからしばらくは、仔猫はお母さん無しには生きていけません。
そこから少しずつ一人でできることが増えていくのです。
しかし、そうなってくると、仔猫がどこまで一人でできて、どこまでお母さんの代わりを担わなければならないのか知らなければなりません。
仔猫の月齢にあたりをつける事はとても大切な事なのです。
彼女の耳はまだ小さいのですが、目はやっと開いた感じで、まだはっきり見えていないようです。しかし、動くものは目で追いかけています。
歯の方は全然生えていませんが、指を吸う時、歯茎に少し硬さを感じました。
地面に置くと、這うようにして移動します。
生まれて2〜3週間ほどでしょうか。
料理用の秤で体重を測定すると280g。
生まれて10日ほどの猫の平均体重です。
少し小さい体格なのでしょうか。
いずれにせよ、しばらく排泄の介助は必要なようでした。
赤ちゃん仔猫は自分で排泄できない
赤ちゃん仔猫は自力で排泄することができません。
お母さんに刺激をして貰って排泄します。
尿も便も、お母さんにお尻を刺激してもらってやっと出るのです。
生まれて2〜3週間ということは、まだ自力で排泄ができず、排泄を促してあげなければならない可能性が高いのです。
私は柔らかいティッシュペーパーで彼女のお尻をトントンと刺激してみました。
そうすると、気持ち良さそうにおしっこをしました。
3日間、排泄もしてなかったのかもしれません。
あの時の彼女の安堵したような表情も、私は忘れる事はないと思います。
赤ちゃん仔猫のミルクの与え方
さて、そうこうしているうちに、頼んだものを持って知人が戻ってきました。
猫用のミルクとスポイトです。
夕方で大変だったと思います。
本当にこの時お手伝いをしてくれた知人にはとても感謝しています。
仔猫が離乳ギリギリである事がわかった以上、お皿からペロペロとミルクを飲む事はなかなかに難しいでしょう。
本来なら哺乳瓶でミルクを与えるところですが、老犬介護をやっと終えた我が家に、動物用の哺乳瓶など存在するはずもなく、仕方ないのでスポイトを頼みました。
しかし、後々知ったのですが、最近は100均でシリンジを売っているようです。
だいたいコスメコーナーにあります。
私も迷ったのですが、置いてある場所はコスメコーナーです。
さて、はたして彼女は歯の具合を調べる時に、私の小指を吸ったので、指を吸う事はわかっています。
ところが、スポイトの先はうまく咥えず、舌で押し返してしまいます。
これは困った。
ミルクが飲めないとせっかく連れ帰った意味がありません。
彼女の命を繋ぐにはなんとしてでもミルクを飲ませなければなりません。
色々考えて試して一番うまくいった方法は、私の指を咥えさせ、それにミルクを垂らすという方法でした。
かなり時間はかかりますが背に腹は変えられません。
彼女はこうして3日ぶりの食事にありつけました。
それから私は4時間置きにこの方法でミルクを与え、一晩中彼女と過ごしたのです。
犬母ちゃん猫を育てる決意をする
小さな小さな掌に簡単に乗るほどの彼女を膝の上に乗せて、一晩中彼女と過ごしながら私が考えた事は、おそらくほとんど、彼女との未来でした。
私が動物と暮らす時、いつも頭に流れる曲の一節があります。
小田和正さんの、「たしかなこと」という曲の一節です。
時を超えて君を愛せるか ほんとうに君を守れるか
空を見て考えてた 君のために 今何ができるか
もちろんこの時も、この問いを自問自答していました。
大切な大切な相棒を亡くして一年も経っていませんでした。
寂しさを紛らわすだけに彼女を迎え入れることは私の本意とするところではありません。
ずーっと犬と暮らしてきて、もう長い事、犬の知識は溜まっていましたが、猫の知識は30年前に止まったままでした。
私と私のかつての相棒とが幸せに暮らすための活動はそれなりにしていたので、彼女に里親を探すこともできるかもしれません。
動物と暮らす決断をする時、それが正しかったかどうかは、いつも、時間が経過してみなければわかりません。
運命が動か出す瞬間は、いつもドラマチックで、物語がはじまるようなものです。
私はこの時の決断を、半年経った今でも後悔していないのです。
そしてこれからも。
物語のはじまりを、私は一生忘れることはないでしょう。
「つーたん」
突然、頭に浮かんだ呼び名を私は口にしました。
彼女はそれに、小さく鳴いて応えました。